- 2009年2月14日
- [ センター現代文 ]
◎EVERGREEN・解答例 【2】◎
【2】
問題文の解説をしながら、順に設問を解いていきたいと思います。
( 第(1)~ (3)段落)
(1)ロボットは人間か?という問いは、ロボットにも心があるのか?という問いである。
↓
(2)この問いに答える決め手はない。
それを生物学的あるいは工学的に(=要は「科学的に」)検出しようというのがそもそもまとはずれだ。
↓
(3)実は、自分にとっての「他人」も「ロボットと同じ」位置にある
↓
他人が自分と同じ痛みを感じているかどうかをためす方法は、原理的にない。
もし未来に、「うまそうに食事をしたり、歯医者で痛がったりするロボット」が生まれたらどうだろう?
街ですれ違っても、カフェで隣に座っても、それがロボットだとは見分けがつかない。(もしかしたら既にいるかも知れない・笑)そしてそのロボットに恋してしまうかもしれない。
もしもそういう事態になったら、僕らは問うだろう。「ロボットは人間ではないのか? 僕を愛してくれている彼女の心は、嘘だと言うのか?」
筆者はそういう問いを想定した上で、「それに答える決め手はない」「それを生物学的・工学的に検査する方法はない」と述べている。
さらに、「実は『自分以外の他人』だってロボットと同じじゃないか」という。
たしかに筆者の言う通りで、自分の友達が「ロボットでなくて人間だ」と証明することはできない。もし「とても精巧にできたロボット」だとしたら、相手がカミングアウトしてくれるまできっと気付かないだろう。問一はこれを書かせる問題。
問一
(ポイント)
a1 他人が感じている痛みが自分の感じている痛みと同種かどうかをためす方法はない
a2 客観的に/原理的に
b aという意味では、ロボットも人間も同じ
(解答)
他人が感じている痛みが自分の痛みと同種かどうかを検証する方法は原理的にないという意味では、ロボットも人間も同じだということ。
ここまではまだ、比較的理解できる。しかしここからが難しい(だから講義でも言ったように、じっくり考えさせる国公立二次型の問題だ)
第(4)~ (6)段落
眼の前で友達が机の足にすねをぶつけた。「うわー、きっとめちゃくちゃ痛いだろうな」と僕は思う。でもそれは僕の勝手な想像で、相手はそれほど痛くはないかもしれない。たしかに「痛てっ!」と友達も言う。でも、いま目の前で友達が感じている痛みと僕の考えている痛みとが同じかどうかはわからない。(たとえば、僕が「イタイ度90」ぐらいを想像しているのに、友達の痛みは「イタイ度64」程度かも知れない)。それを確かめるすべはないのだ。これを問うているのが問二。
問二
(ポイント)
a 私の知っている痛みはただ私自身が感じているものにすぎない
b 他人がそれを感じていると想像することは不可能
(解答)
私の知っている痛みはただ私自身が感じているものにすぎないため、他人がそれを感じていると想像することは不可能だから。
この「他我問題」は、困惑するものでも解決するものでもなくて、「事実」として認識すべきものだと筆者は言う。
私が「彼の痛み」を思うとき、それは決して「彼の痛み」ではなく、勝手に想像した「私の痛み」を投影しているだけなのだ。そしてまさに、この「投げかけ」ができるのが人間であり、失ってしまえば人間ではなくなる。逆にいえば、この「投げかけ」ができるならば「ロボットもまた人間」なのである。これを問うているのが問三。
問三
(ポイント)
a 人間が人間たるゆえんは他人との「間」に心の「飛び交い/他者の痛みの想像」ができるから
b aができることで、私も「人間」になる
(解答)
人間が人間たるゆえんは他人との「間」に心の飛び交いができることであり、それができることで私も「人間」になるということ。
問四 ア 待遇 イ 繊維 ウ 組成 エ 脂肪
問題文の解説をしながら、順に設問を解いていきたいと思います。
( 第(1)
(1)ロボットは人間か?という問いは、ロボットにも心があるのか?という問いである。
↓
(2)この問いに答える決め手はない。
それを生物学的あるいは工学的に(=要は「科学的に」)検出しようというのがそもそもまとはずれだ。
↓
(3)実は、自分にとっての「他人」も「ロボットと同じ」位置にある
↓
他人が自分と同じ痛みを感じているかどうかをためす方法は、原理的にない。
もし未来に、「うまそうに食事をしたり、歯医者で痛がったりするロボット」が生まれたらどうだろう?
街ですれ違っても、カフェで隣に座っても、それがロボットだとは見分けがつかない。(もしかしたら既にいるかも知れない・笑)そしてそのロボットに恋してしまうかもしれない。
もしもそういう事態になったら、僕らは問うだろう。「ロボットは人間ではないのか? 僕を愛してくれている彼女の心は、嘘だと言うのか?」
筆者はそういう問いを想定した上で、「それに答える決め手はない」「それを生物学的・工学的に検査する方法はない」と述べている。
さらに、「実は『自分以外の他人』だってロボットと同じじゃないか」という。
たしかに筆者の言う通りで、自分の友達が「ロボットでなくて人間だ」と証明することはできない。もし「とても精巧にできたロボット」だとしたら、相手がカミングアウトしてくれるまできっと気付かないだろう。問一はこれを書かせる問題。
問一
(ポイント)
a1 他人が感じている痛みが自分の感じている痛みと同種かどうかをためす方法はない
a2 客観的に/原理的に
b aという意味では、ロボットも人間も同じ
(解答)
他人が感じている痛みが自分の痛みと同種かどうかを検証する方法は原理的にないという意味では、ロボットも人間も同じだということ。
ここまではまだ、比較的理解できる。しかしここからが難しい(だから講義でも言ったように、じっくり考えさせる国公立二次型の問題だ)
第(4)
眼の前で友達が机の足にすねをぶつけた。「うわー、きっとめちゃくちゃ痛いだろうな」と僕は思う。でもそれは僕の勝手な想像で、相手はそれほど痛くはないかもしれない。たしかに「痛てっ!」と友達も言う。でも、いま目の前で友達が感じている痛みと僕の考えている痛みとが同じかどうかはわからない。(たとえば、僕が「イタイ度90」ぐらいを想像しているのに、友達の痛みは「イタイ度64」程度かも知れない)。それを確かめるすべはないのだ。これを問うているのが問二。
問二
(ポイント)
a 私の知っている痛みはただ私自身が感じているものにすぎない
b 他人がそれを感じていると想像することは不可能
(解答)
私の知っている痛みはただ私自身が感じているものにすぎないため、他人がそれを感じていると想像することは不可能だから。
この「他我問題」は、困惑するものでも解決するものでもなくて、「事実」として認識すべきものだと筆者は言う。
私が「彼の痛み」を思うとき、それは決して「彼の痛み」ではなく、勝手に想像した「私の痛み」を投影しているだけなのだ。そしてまさに、この「投げかけ」ができるのが人間であり、失ってしまえば人間ではなくなる。逆にいえば、この「投げかけ」ができるならば「ロボットもまた人間」なのである。これを問うているのが問三。
問三
(ポイント)
a 人間が人間たるゆえんは他人との「間」に心の「飛び交い/他者の痛みの想像」ができるから
b aができることで、私も「人間」になる
(解答)
人間が人間たるゆえんは他人との「間」に心の飛び交いができることであり、それができることで私も「人間」になるということ。
問四 ア 待遇 イ 繊維 ウ 組成 エ 脂肪